4月3日から二泊三日で、家内と娘の3人で、岩手の実家と被災地を訪ねた。
3日は仙台に一泊。折しも「爆弾低気圧」が迫っていたので、被災地に行くのは止めようと一旦は決意。
翌朝、それほど天候が荒れていなかったので、被災地に行くのを強行してしまった。
この判断が、後で大変なことに・・・・・
(@Д@;
南三陸町を訪ねてみると、昨年の夏に訪問した時と比較し、「復興」がほとんど進んでいないことがわかる。様々な障害があるのだろうけど、何とかならないのだろうか?


志津川病院も、まだそのままだ。

そんな中、ペレハブで、コンビニと商店街が営業をしていた。
早速、コンビニで買い物をする。


やるせない気持ち。これは、現場に来てみないと実感できないかも知れない。
TVの情報だけでは、実態がよくわからない。
その後、釜石に向かう、途中もまだまだ、大変な状況である。

陸前高田の「一本の松」が何とか元気な様子。
うれしい。

釜石には13:00過ぎに到着した。
鵜住居小学校と釜石東中学校を探す。
場所は、釜石市の北側、大槌町の手前に位置する。
右側が鵜住居小学校。右が釜石東中学校。

以下、読売新聞より引用。
「釜石市内では約3000人の小中学生のほとんどが押し寄せる巨大津波から逃れて無事でした。
この「奇跡」を支えたのが、「想定を信じるな」「最善を尽くせ」「率先避難者たれ」の「避難の3原則」。同市で防災教育の指導にあたってきた群馬大学教授の片田敏孝さんが提唱し、小中学校の先生たちと一緒に子どもたちに教え続けてきました。
片田教授の元々の専門は土木工学。防災教育と本格的に向き合うきっかけとなったのは、2004年のインド洋津波の被災地調査に参加した時に目の当たりにした光景だったそうです。
犠牲者約23万人という数字だけでは表すことができない惨禍に戦慄し、思ったそうです。「日本で起きると、大変なことになる」。そして、「子どもたちを決して死なせてはならない」という片田教授と先生たちの思いが、子どもたちの頑張りにつながり、「奇跡」を起こしたのです。」
大槌湾の側にある二つの学校。巨大津波でなくても、津波が起これば、すぐに影響されそうな立地条件である。
その前に立ち、恐怖の中、避難をした子供達を思い浮かべる。
防災意識とともに、訓練、教育がいかに大切か。
私たちも、真剣に考えていかなければならない。
さて、天候が心配されるので、その後、宮古経由盛岡、そして滝沢の実家に立ち寄るという、当初の予定を止め、釜石から遠野経由、盛岡方面を目指し、最短の峠道を走り始めた。14:00頃
峠道を上っていくと、雪が強くなってきた。まさか、路面に雪はないだろうと思っていたら、麓か10kmほど上ったところで、いきなり路面が雪に覆われていた。「まずい」と思った時には雪道を10m程進んでしまった。
その先は、左カーブの上り坂。
「引き返そう」とハンドルを切るのだがスリップして身動きがとれない。
何とか車を反転させたのだが、そのまま、立ち往生してしまった。14:30頃
人通りも、民家も、通る車さえない。
「このまま夜になったらどうしょう」
「JAFを呼ぶしかない」
ところが、
山の中で携帯電話が通じない。
(;;;´Д`)ゝ
携帯電話の通じる麓まで下りるしかない。
でも、滑って転んでばかりで、中々進まない。
娘は、何とハイヒール。
とても、歩けない。
娘と家内を車の中に残したままにするのも心配である。
いつ、車が勝手に滑り出すかわからないからである。
この先どうなるのか、不安は増すばかり。
そうしているうちに、たまたま通りかかった車が一台。
その車の親切なご夫婦に車に乗せてもらい、麓まで下りることに。
ご夫婦は、娘さんを花巻まで送り鵜住居の自宅に帰るところだった。
この先の峠は大雪で、冬タイヤを履いていても、慣れていないと危険だとのこと。
しばらく走ると麓の少し手前に、「橋野どんぐり広場」というところがあり、そこの方がお知り合いとのことで、JAFが到着するまで、休ませていただくことになった。(お店は、悪天候のため店じまいをし
ているところだった。)
「橋野どんぐり広場」から、やっとJAFと連絡がとれた。15:00頃
1時間とちょっと待って、JAFが到着、私が同乗し、現場まで行く。16:15分
すると、私の車に、運送会社の車が、やはり雪道を上りきれず、スリップして追突していた。
お尻とお尻がくっついた状態のまま、その車も、スリップして動けない状況。
私の車は、後ろのバンパーが少し変形していた程度だったので、そのままJAFのトラッックにのせて、どんぐり広場にもどり、家族を同乗させ。釜石に向かった。17:15頃
運送会社の車はどうしたのだろうか?
釜石にもどっても、このままでは、盛岡方面には向かうことができないので、冬タイヤを調達すること
にした。
JAF(実はJAFに依頼された自動車整備工場の経営者の方)が自社に、中古の冬タイヤがあるとのこと。
その工場で冬タイヤに履き替え、いざ、盛岡方面に出発。18:30頃
今度は、最短の峠道ではなく、よく整備された「千人峠道路」を通る。
それでも、遠野辺りは雪が深く、ブレーキをかけてもいないのに、冬タイヤでも、下り坂で車体が滑る。
雪の本当の怖さを思い知らされた。
心臓が氷る思いをしながら、やっとの思いで、夜21:00盛岡の宿舎に到着。
翌朝、滝沢の実家を訪ねた。
父母ともにきわめて元気であったが、父は16日に白内障の手術を受けるとのこと。
また、ゆっくり訪問したい。
その後、姪の久美子が第一子を出産したとのことなので、病院にお見舞いに行った。
かわいい赤ちゃんだ。

そして、恒例の「ぴょんぴょん舎「の冷麺を食し、帰路についた。

それにしても、釜石では、本当に沢山の方にお世話になりました。。
車で送っていただいたご夫婦。どんぐり広場のご主人、そこで働いているおばさん達、そして JAFから
依頼を受けて来てくれた整備工場のおじさん。
震災の時の生々しいお話も聞かせていただきました。
親切に、いろいろなことを気遣っていただきました。
何より、他の人が困っていることに対し、自分のことのように、何んでもしてあげようとする、暖かい
心を持っておられた。
今回は、冷や汗のでる大変な旅ではありましたが、釜石の方々に多くのことを学ばせていただきました。
心から感謝を申し上げます。